明治時代より白金三光町で開院していた丸山医院が、都市計画に沿って現在地に移転したのは、昭和13年のことでした。
その後、丸山秀雄(慶応義塾大卒・元港区医師会長)が昭和17年に引き継ぎ、小児科・内科を中心に診療を行っていました。
平成7年、丸山秀雄の他界により一時休院していましたが、同年、丸山の三女の夫で、湖南病院(茨城県下妻市/約130床)・とき田クリニック・老健施設し ろかね(約100床)を経営する鴇田典夫が、医療法人社団白峰会を設立、翌8年、丸山医院を「 白峰会 白金クリニック」として再開院いたしました。
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